神田・駿河台・小川町・飯田町 1

○神田堀 銀町堀と云う かまくらかし鎌倉河岸より浜町堀へつヽく銀町の
土手そひての堀也 天和年中にほらる
○今川橋 通町しろかね町堀にかヽる 天和の頃はしめて渡す
そのころ此所の名主今川善右衛門と云 よつて名とす
○藍染川 又逢初あいそめ川と云 神田かち鍛冶町一丁目より紺屋町へ
落る大溝也 一丁ほと上にて南北の水落合両方の水逢初め此所へ
おつるゆへに云とそ 又紺屋町のうら通りゆへ其縁によりていふとも
寛文の頃此川石橋の上ミてにて 夜々小児の泣声あり 所の者あやし
みそのあたりの水をほして砂をうかちけれは あやしき魚あり 長サ二尺
五寸ばかりおもて猫のことくにして四足あり 掘る時尾先を鍬にて切れ
たるゆへ早速死ス 御奉行所へさし上しにほとなく くたりて是
はさんせうくいと云もの也と仰くたしけり 所久しき者後記とめて
おきたり
○弁慶橋 右の川下和泉橋の通の橋也 すしかへ筋違にわたして
むつかしき橋也 是は大工棟梁弁慶小左衛門地割の橋也といふ
又御城の弁慶矢倉は小左衛門の棟梁して立てられしと也